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金沢地方裁判所 昭和33年(ヨ)120号 判決 1958年8月06日

申請人 (三八名選定当事者)金子光伸、(六六名選定当事者)小林富美子 外一名

被申請人 丸大撚糸織物株式会社

主文

申請人等の申請を却下する。

申請費用は申請人等の連帯負担とする。

事実

申請人等代理人は、「被申請人が昭和三十三年三月六日付で別紙第一目録の一記載の申請人金子光伸他三十六名に対してなした解雇、及び同年四月九日付で別紙第一目録の二記載の申請人小林富美子他六十五名に対してなした解雇の各意思表示の効力を仮に停止する。被申請人は前項の各組合員を被申請人会社の従業員として取扱はなければならない。被申請人は別紙第二目録記載の従業員の被申請人肩書地所在の寄宿舎における居住、出入を妨害してはならない。」との裁判を求め、その申請理由として、被申請人会社(以下会社と略す)は、肩書地におい絹人絹撚糸織物を製造している株式会社であり、申請人及び選定者等は、右会社に雇はれている従業員であつて、丸大撚糸労働組合(以下組合と略す)の組合員であるが、別紙第一目録の一記載の従業員は、昭和三十三年三月六日会社業務の都合によるとの理由で、別紙第一目録の二記載の従業員は、同年四月九日経営不振に基く事業廃止を理由として、それぞれ被申請人会社より解雇の通知を受けた。然し右解雇は次の理由により、いずれも不当労働行為であつて無効である。

すなわち、丸大撚糸労働組合は、昭和二十一年八月結成され、石川県繊維産業労働者の中心として活溌な組合活動を展開してきたものであるが、被申請人会社は、右組合の存在及びその活溌な活動を常に嫌悪し、特に昭和二十八年九月申請人金子光伸が組合長に選任されて、合唱サークル、読書グループを組織し、又昭和三十二年十二月には年末一時金闘争を行うなど組合運動の指導的役割を演ずるようになつてからは、悉く組合を敵視し、その指導者の排除を企図つてからは、悉く組合を敵視し、その弱体化と指導者の排除を企図してきた。

昭和三十三年一月三十一日被申請人会社は繊維業界の不況による経営不振を理由として、突然組合員十八名の指名解雇を通告してきたが、その被解雇者中には組合活動を活溌に行つた者が指名されており、会社が提示した整理基準に示された病弱者、技能低位者、成績不良者等に該当する者がいなかつたので、組合は強くこれに反対し、会社との間に数度の団体交渉を重ねた結果、同年二月七日会社は自ら右解雇を不当労働行為と認めてこれを白紙撤回した。

其の後組合は被解雇者を出さない会社再建計画に協力することとし、全国繊維産業労働組合同盟石川県支部(全繊同盟県支部と略す)と共に団体交渉を行い、会社から企業内容、経理状態等について説明を受けてきたが、会社は同年二月十四日に至り、経営不振の実状を充分説明しないまま、一方的に四十七名の解雇を伴う再建計画案を提示し、その実施を急ぐと共に、右再建計画案に伴う解雇は指名解雇であるとの態度を示した、そこで組合は会社の希望の一部を容れ余剰人員の整理を認めると共に、希望退職者を募ることを提案し、事態の早急な解決に努めたが会社は何等の誠意をも示すことなく同年三月六日前記再建計画案をそのまま実施し、会社の一方的作成に係る整理基準を示した上、被解雇者はすべて右整理基準に該当するとして金子光伸他四十一名(再建計画案の四十七名中五名は自然退職した)を指名解雇するに至つた。然し右四十二名中には、前記一月三十一日付被解雇者十八名を含むことは勿論、病気欠勤のため留保された五名を除く残余三十七名中には、組合長金子光伸、執行委員長田貴美子同尾崎俊子を始めとし、代議員、会計監査委員、寄宿舎自治会正副委員長、同書記長、同室長、並に合唱サークル、読書グループ会員、前記年末一時金闘争の闘争委員、その他組合大会における解雇反対の積極的発言者など組合活動を活溌にした者が多数含まれている。会社は整理基準を一応示してはいるが、その採点内容が明かにされないばかりか、右三十七名の多くは勤続年数の長い熟練労働者であり、技術優秀者として表彰された者七名を含んでおり、此等の者は会社の示した整理基準に該当しない者であるから右整理基準は解雇の正当性を裏付けるものではない。

そこで組合は石川県労働組合評議会(県評と略す)に団体交渉を委任して、三十七名中十五名は希望退職とし二十二名は一時離職とすることは認めるが、二十二名中より組合幹部五名を除外するよう申入れたところ、会社は三月二十九日の団体交渉において「組合幹部五名を除外する位なら、何のための人員整理か判らなくなる。」とまで公言し、幹部五名の除外に反対したため、十五名の希望退職と、二十二名の一時離職を認めるところまで歩み寄りながら団体交渉は遂に決裂した。このことからみて、会社の意図は組合幹部を組合から排除し、組合を弱体化するにあつたことは明かである。結局三月六日付解雇は会社経営の不振を口実に、組合幹部及び活動的分子を組合から排除し、組合の団結を破壊せんとする意図に基く不当労働行為であつて無効である。

其の後も、会社は右の態度を少しも改めないばかりか、同年四月九日に至り、経営不振による事業廃止を理由に、別紙第一目録の二記載の従業員に対し、解雇の意思表示をなした。然し会社は経理的に再建の見込がない程行詰つていたとは到底考えられないし、又三月二十九日の団体交渉において、組合幹部五名を含めれば、四十二名の解雇で会社再建が可能であるとの態度を示しながら、旬日の後に至り、会社の存続が全く不可能になるということはありえないところである。更に昭和三十三年三月十三日第二組合が結成されたが、第二組合の幹部は、その組合員に対し、「会社はやがて事業を再開するから時期を待つように。」と述べている事実さえある。要するに会社は、組合幹部を組合から排除しようと努めたが、その意図が容易に成就しないとみて、先の三月六日付の解雇の不当性をも糊塗するため、事業廃止を行い、これを理由として、全員解雇を発表するに至つたものであつて、右の事業廃止は組合幹部及び活動的分子を排除し、組合の団結を破壊する意図に基く偽装行為であり、別紙第一目録の二記載の小林富美子他六十五名に対する解雇も亦不当労働行為であつて無効である。

仍つて申請人等は雇傭契約確認等請求訴訟を準備中であるが、本件解雇によつて、申請人及び選定者等の労働組合員としての団結及び活動は直接の脅威に曝されており、又申請人及び選定者等はいずれも給料のみによつて生活する者であるから、長期間被解雇者として取扱はれることによつて回復することの出来ない損害を蒙ることは明かである。又別紙第二目録記載の従業員は会社との雇傭契約上の地位に基き、会社所有の寄宿舎に宿泊している者であるが、すでに給食停止、送電中止等居住の妨害を受けており、且、解雇を理由に居住制限、退去等を迫られる虞があるので本申請に及んだ次第である。尚組合と会社との間に、解雇につき労働協約の定は存在しないと陳述した。(疎明省略)

被申請人代理人は申請人等の申請を却下するとの判決を求め、答弁として、被申請人会社が予て組合を敵視していたとの主張は否認する。会社は組合の健全な発展をこそ希望するが、組合の弱体化や組合幹部の排除などを企図したことはない。昭和三十三年三月六日及び同年四月九日に、申請人等主張の従業員に対し、それぞれ解雇の意思表示をしたが、右各解雇が不当労働行為であるとの主張は事実に反する。

すなわち、昭和三十二年一月頃より、繊維業界は未曾有の不況に襲はれ、被申請人会社も、昭和三十二年六月一日より、昭和三十三年一月三十一日迄の八ケ月間に、七九四万余円の損失を生じ、これに前期繰越損七二七万余円を加えると、昭和三十三年一月三十一日当時合計一、五二一万余円の損失金を生ずるに至り、且、当時会社の負債は五、八七一万余円の多額に上つていたのである。かくては会社としても事業縮少の他なく、約三十名の余剰人員を生じたので、病弱者、技能低位者、出勤成績不良職務怠慢の者一〇項目に亘る整理基準を定め、綜合点数の低い者から順に解雇することとし、当時の出勤率は六〇パーセントだつたので、これを見込んで三十名から十二名を差引き、一月三十一日に整理基準の綜合点数の低い者から順に十八名を解雇したのである。右基準の作成及び採点に当つては、組合活動関係は採点外としてあり、右解雇は積極的に活動した組合員を狙つたものではない。又同年二月七日右十八名の解雇を撤回したが、これは不当労働行為であると認めたからではなく、全繊同盟役員を交えての団体交渉の席上、組合側は全繊同盟指揮の下に責任をもつて会社再建計画に協力すると申出たので、組合の誠意を信じて撤回したにすぎない。そこで右の約束に従い、会社は二月八日より二月十三日に至る間、会社の経理内容の明細及び受註状況等会社再建のための資料を全繊同盟及び組合に提出すると共に、充分に相手方と質疑を尽した後、全繊役員の要求に従い、二月十四日の団体交渉において、四十七名の解雇を伴う会社再建案を提示したのである。然るに組合は、唯一名の解雇をも認めないと答えるのみで、何等具体的計画を示さず、会社再建に協力しないのみか、二月二十四日に至り、会社の提出した資料を検討した後、全繊同盟会長が、組合に宛てた「繊維業界の不況は深刻であるから企業破壊を招くような闘争は避けねばならぬ。倒産覚悟の丸大撚糸労組の闘争は再考を要する。」との要旨の勧告を拒否し、そのため全繊同盟から争議支援を打切られながら、尚一名の解雇も許さずとして無謀にも企業破壊の闘争を進めたので、会社は早急に事態を収拾する必要から、組合に会社再建(当然に人員整理を必要とする)に協力する誠意がないものと認め、三月六日四十二名の解雇を発表したものである。右解雇も前記のような不況と、組合の無謀な闘争による経営不振のため、人員整理の必要に迫られた結果やむなく行つたものであつて、被解雇者を決めるに当つても、一月三十一日の解雇の際と同様の整理基準により綜合点数の低い者から順次解雇したのであり、もとより組合幹部を排除し組合の弱体化などを目的とするものではない。其の後、県評との三月二十九日の団体交渉において、会社は二十二名の離職者中より、組合主張の五名を除外することを拒否したが、それは整理基準による点数の低い者から順次解雇するとの原則をこれ以上変更できないとの理由によるものであつて、組合幹部排除の意図など全くなかつたのである。

然るに組会は無謀にも三月七日二十四時間ストを、三月十一日四十八時間ストを決行し、更に解雇を無視した全従業員の就労を強行するに至つたので会社はやむを得ずロックアウトを宣言した。かくて益々深まり行く業界の不況に加え、相次ぐ激しい労働紛争のため会社の企業活動は完全に痲痺し、再建の見込が全く立たない状態となつたので、会社は数次の大株主及び役員会を開催して慎重審議の結果、四月三日事業廃止を決定し、四月九日これに伴う全員解雇を発表すると共に、四月二十六日の株主総会において解散決議をしたのである。右解散は専ら再建不能の事実に基くものであり、会社には組合幹部を排除し、その団結を破壊しようなどという考えは全くなかつたのであるから右解散は偽装でないことは勿論これに伴う解雇も不当労働行為ではないと陳述した。(疎明省略)

理由

申請人及び選定者等が被申請人会社の従業員であつたこと、被申請人会社が昭和三十三年三月六日別紙第一目録の一記載の従業員に対し、経営不振による人員整理を理由として、同年四月九日別紙第一目録の二記載の従業員に対し、事業廃止を理由として、それぞれ解雇の意思表示をしたことについては当事者間に争がない。

そこで右解雇が不当労働行為となるかどうかを判断することとなるが、被申請人は本件解雇は、専ら経営不振に基くものであると主張するので先づこの点を検討する。

証人村本彦太郎の証言によつて真正に成立したと認められる乙第五乃第十二号証、同第二十四号証の五、及び成立に争のない乙第十四号証、並に証人片岡俊一の証言を綜合すれば、昭和三十二年一月頃から繊維業界は不況に襲はれたが、それは、同年末には、石川県絹人絹織物調整組合が、織機の三割封織を決議する程深刻なものとなつたこと、生産数量、織賃共著しく低下したため、被申請人会社も昭和三十三年一月三十一日当時資本金八〇〇万円に対し、五、八七一万余円の負債を負つている上に、更に一ケ月一〇〇万余円の欠損を生じつつあつたこと、被申請人会社は従前通りの従業員をもつて正常な営業を継続するために少くとも一ケ月三五〇万円程度の収入を必要とするにかからず、その受註量は、昭和三十三年二月度には一二八万円相当量、同年三月度には五〇万円相当量に過ぎなかつたこと、同年二月以降は殆んど生産活動をしていないので右受註量の生産すら達成できなかつたこと、及び右の情勢に対応して経営規模を縮少すると、昭和三十三年一月三十一日頃には少くとも十八名程度の、同年二月十四日頃には四十七名程度の人員整理が必要であつたことがそれぞれ認められる。従つて三月六日付解雇の決定的原因は、被申請人会社の経営不振にあつたと認めるのが相当である。

次に被申請人会社が右被解雇者を決定するに当つてどのような方法によつたかを検討するに、成立に争のない乙第一号証、及び証人片岡俊一の証言によれば、昭和三十三年一月五日頃、会社は病弱者、技能低位者、出勤成績不良、職務怠慢の者、会社業務非協力者、共同精神に乏しい者、企業計画遂行上止むを得ない者等一〇項目に亘る整理基準を作成し、その実施に当つては、組合活動関係は採点外とすることとして、職場長採点―部長修正―社長決定を経て前記項目毎に採点し(一項目一〇〇点、一〇項目で一、〇〇〇点満点)綜合点数の低い者から順次解雇するとの原則に拠つたことが認められる。

右の如き整理基準及び実施方法自体が正当なものであることはいうまでもなく、且、組合と会社との間には解雇について労働協約の定がなかつたのであるから、右基準の作成及びその実施につき組合の協議を経なくとも、これに基く解雇の効力に消長を来すことのないのは明かである。唯右採点に当つて、果して組合幹部及び活動的分子を故意に減点しなかつたかどうかが重要な点であり、申請人等は右整理基準は形式に過ぎず実際は組合幹部を狙つて解雇したものであると主張する。よつて当裁判所は当事者双方から提出された全資料を細密に検討したのであるが、会社が右採点に当つて労働組合幹部又は活動的分子を故意に低く採点したと認めるに足る資料を見出すに至らなかつた。申請人等は不当労働行為の意思を推認させる事実として、被申請人会社が予て組合を敵視し、幹部の排除を企てていたこと、一月三十一日付被解雇者十八名はすべて組合幹部及び活動的分子であること、二月七日に会社が右十八名の解雇を撤回したのは会社が不当労働行為なることを自認した結果であること、三月六日付四十二名の被解雇者はすべて組合幹部及び活動的分子であることなどを挙示しているけれども、そのような事実を認めるに足る資料は存在しない。又三月二十九日の団体交渉は、四十二名中十五名は希望退職とし、二十二名を一時離職として、四十二名(病欠五名留保)の解雇を認めるところまで歩み寄りながら、二十二名中(この綜合点数の低い者から二十二番目までの間に、組合がその幹部であると主張する五名が含まれる)から組合が幹部であると主張する者五名を除外するかどうかの点のみで決裂したことは当事者間に争のないところであり(果して右五名が幹部といいうるかどうかの点は除く)、申請人等はこのことをもつて三月六日付解雇の不当労働行為の意思を推認せしめる重要な事実であると主張するが、証人後出進一郎の証言、申請人金子光伸の供述、及び同供述によつて真正に成立したと認められる甲第十八号証によれば、一時離職者の数を二十二名とすることは、会社側からではなく組合側から提案されたものであること、及び組合幹部五名を除外せよとの要求は(右五名が果して又如何なる程度に組合幹部として特徴ずけられるものであるかはともかく)三月二十九日に至つて始めて提案されたものであることに、並に右提案の目的は専ら一時離職者の復職を確保するためであつたことがそれぞれ認められ、これに、証人片岡俊一の証言によつて認められる、会社が右五名を除外することを拒否した理由は、すでに十五名の希望退職を認めた以上綜合点数の低い者から順次解雇するとの原則をこれ以上変更することが出来ないということにあつた事実を併せ考えれば、右三月二十九日の団交決裂の事情をもつて、遡つて三月六日付解雇(それは二月十四日に実質的に決定されていた)が組合幹部排除の目的をもつてなされたと断する根拠とはなし難いから申請人等の右主張は採用することができない。更に申請人等は三月二十九日の団体交渉において、会社側は「組合幹部五名を除外する位なら何のための人員整理か判らなくなる。」と述べたことからみて、三月六日付解雇が組合幹部排除の目的をもつてなされたことは明かであると主張し、証人後出進一郎は右団交の席上において、被申請人会社の大谷社長が申請人等の主張するような発言をしたと供述している。然し、右後出証人の供述は俄に措信出来ないばかりか、同証人の証言及び証人片岡俊一の証言並に同証言によつて真正に成立したと認められる乙第十七号証によれば、会社側代表は右団交の席上において、組合幹部五名を特に有利に取扱うことも亦なるこ働行為となるから(その法律的当否はともかく)五名を除外することは出来ない(つまり不当労働行為に不当労とを避けるため組合幹部五名の除外は認められない)との趣旨の発言をしたことが認められるのであつて、このことに徴すれば、右後出証人が大谷社長の発言なりとして供述するところをもつて、三月六日付解雇が組合幹部五名の排除の目的でなされたと断定する資料とはなし難いから申請人等の右主張も亦採用することができない。結局三月六日付解雇が不当労働行為であるとの申請人等の主張は認容することのできないものである。

次に四月九日付解雇(六十六名)につき審案するに、被申請人会社は不況による経営不振のため、昭和三十三年一月三十一日当時、すでに五、八七一万円の負債を負い、更に一ケ月一〇〇万余円の欠損を重ねつつあつたこと、右会社は一ケ月三五〇万円程度の収入を必要とするにかかわらず、同年二月度の受註量は一二八万円余、同年三月度の受註量は五〇万円余であつたことはすでに認定した通りであるが、更に証人片岡俊一の証言によれば、同年二月以降は労働紛争のため殆んど生産活動をしていないので右受註量の生産も達成出来なかつたこと、そのため会社の業績と信用は著しく低下し、受註量の増加及び銀行からの融資は望めなくなつたこと、繊維業界の不況は依然として好転の見込のなかつたこと、及び右の情勢を検討した上四月三日大株主及び会社役員の間で事業廃止を決議し、同月九日これを理由とする全従業員の解雇を発表するに至つたこと、四月二十六日の臨時株主総会において、会社再建不能との判断に基き解散決議をしたことがそれぞれ認められる。申請人等は右解散は組合幹部の排除を目的とする偽装解散であると主張するが、そのような事実を認めるに足る資料はない。又三月二十九日の団体交渉において、四十二名という被解雇者の枠は変えずただその内の二十二名中から組合幹部五名を除外するかどうかの点のみで団交が決裂したことはすでに認定した通りであるが、申請人等は右事実は、解散が組合幹部五名を排除する意図によつてなされたことを明かに示す事実であると主張する。然し、証人片岡俊一の証言によれば、会社の再建が可能かどうかについて、当時会社役員間でも意見が別れていたこと、会社としては二月十四日に四十七名の解雇を伴う再建計画案を提示した手前もあるし、又組合及び県評の強い要望もあつたので会社再建に自信のないままやれるところまでやつてみようとの考えから一応組合の希望を容れた(幹部五名の点は除く)ものであるとの事情を窺うことができ、又組合幹部五名を除外することについては、第二組合の方で反対しており、組合幹部五名の除外を認めると将来第一組合(申請人等の所属する組合)と第二組合との折合も円滑に行かず引いては会社再建に支障を来すおそれのあつたこと、及び、労働紛争のため会社の経営状態は刻々と悪化しつつあつたが被申請人会社のような底の浅い、小規模の会社では短時日の労働紛争も会社の存立に極めて重大な打撃を与えることをも看取出来るし、更に会社が五名を被解雇者から除外することに反対したのはすでに述べた通り、整理基準の綜合点数の低い者から順次解雇するとの原則をこれ以上変更できないとの理由に基くものであるから、組合幹部五名の問題で団体交渉が決裂したことをもつて、会社再建が可能であつたとか或は解散又は解雇が組合幹部五名排除の目的でなされたものであるとかと断定することはできない。従つて四月九日付解雇が不当労働行為であつて無効であるとの申請人等の主張も亦理由がない。

而して申請人金子光伸の供述によれば、会社は本件各解雇に当り、解雇予告手当を提供した事実を認めることができるので結局本件各解雇は有効であり、申請人等の本件申請はいずれも却下を免れない。

尚輪木そとについては、三月六日付の被解雇者中に含まれないから申請人金子光伸は、同人のため選定当事者となる資格を有しないものであり、且、代理人は、右輪木そとの本件申請を取下げると陳述するが、取下につき代理権を有すると認める資料もないから、同人の本件申請はこれを却下することとする。

仍つて申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 小山市次 干場義秋 志鷹啓一)

(別紙)

第一目録の一

第一選定者目録記載の従業員中輪木そとを除く三十七名。

第一目録の二

第二選定者目録記載の従業員六十六名。

(別紙第二目録および選定者目録 省略)

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